イワン・ルイプキンの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

イワン・ルイプキン

推定知名度0.14%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

イワン・ペトローヴィチ・ルイプキン(、ラテン文字転写の例:Ivan Petrovich Rybkin、1945年1月5日 - )は、ロシアの政治家。ロシア農業党のメンバー、ロシア連邦議会下院国家会議議長、ロシア安全保障会議書記を歴任。1945年1月5日ヴォロネジ州セミゴロフカの農家に生まれる。1968年ヴォルゴグラード農業大学を卒業し、ヴォルゴグラード州ソフホーズに上級機械工として勤務する。1969年徴兵され軍務につく。1970年ソ連共産党に入党。1970年から1974年までヴォルゴグラード農業大学大学院に学び、技術学博士候補となる。同大で教職に就き、助教授、畜産機械化・自動化講座主任、機会学部副部長などを歴任した。農業関係(特に農業機械)の学術的論文や著作は150点を超える。その他、1991年ソ連社会科学アカデミーとロシア外務省外交官養成大学でも学んだ。ソ連共産党でも、大規模機械化農業生産の専門家として活動。1990年ロシア連邦共和国人民代議員に選出された。人民代議員としては、院内会派「ロシアの共産主義者」の創設に関わるが、後に同会派を離脱し、「ロシアの統一」に参加する。ソ連崩壊後は、勤労者社会党の創設や、ロシア連邦共産党に参加するなど、社会主義的な立場から政治活動を続け、1993年にはロシア農業党に参加する。同党は、ロシア共産党の兄弟党である。同年10月モスクワ騒乱後、ロシア農業省水利事業総局次長に任命される。同年12月下院国家会議選挙に立候補し当選する。1994年1月下院議長に選出された。1995年、エリツィン大統領の意を受けて、中道左派「イワン・ルイプキン・ブロック」を創設した。同年12月下院議員にヴォロネジ州の小選挙区から立候補し再選された。1996年1月の下院議長選挙では、「我が家ロシア」などの支持を得たが、共産党のゲンナジー・セレズニョフに敗れた。同年4月ロシア社会党を結成。同年10月アレクサンドル・レベジの後任として、ロシア連邦安全保障会議書記に任命された。1998年3月独立国家共同体(CIS)問題担当及びチェチェン問題担当の副首相に任命された。2002年6月からはチェチェン紛争の終結を目指し、戦争を推進するウラジーミル・プーチン大統領に対して書簡を公開するなど積極的に活動していた。

過去の推移