龍造寺 鑑兼(りゅうぞうじ あきかね)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。大友氏の当主・大友義鑑から偏諱を受け、祖父・龍造寺家兼の1字と併せ、鑑兼を名乗る。天文20年(1551年)9月、土橋栄益・高木鑑房・馬場鑑周・八戸宗暘・神代勝利・小田政光ら龍造寺隆信(家兼の曾孫で鑑兼の従甥にあたる)の家督相続に反対する勢力に擁立され、隆信と家督を争い、一時は隆信を居城から追放するまでに至る。しかし、天文22年(1553年)7月に蒲池氏の支援を受けた隆信が居城を奪回、反対勢力を駆逐するに及び、鑑兼は追放された。但しこの時は幼年の傀儡当主に過ぎなかったためにのち......
龍造寺 鑑兼(りゅうぞうじ あきかね)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。大友氏の当主・大友義鑑から偏諱を受け、祖父・龍造寺家兼の1字と併せ、鑑兼を名乗る。天文20年(1551年)9月、土橋栄益・高木鑑房・馬場鑑周・八戸宗暘・神代勝利・小田政光ら龍造寺隆信(家兼の曾孫で鑑兼の従甥にあたる)の家督相続に反対する勢力に擁立され、隆信と家督を争い、一時は隆信を居城から追放するま......