鳥居 瀬兵衛(とりい せべえ、文化7年(1810年) - 元治元年10月5日(1864年11月4日))は幕末期の水戸藩士。諱は信義、後に忠順。幼名は源次郎、松次郎。天狗党の乱に際して宍戸藩主・松平頼徳とともに水戸に赴き、那珂湊にて戦ったが降伏・出頭の上、処刑された。墓所は茨城県水戸市千波町円通寺。位階は贈正五位。
鳥居 瀬兵衛(とりい せべえ、文化7年(1810年) - 元治元年10月5日(1864年11月4日))は幕末期の水戸藩士。諱は信義、後に忠順。幼名は源次郎、松次郎。天狗党の乱に際して宍戸藩主・松平頼徳とともに水戸に赴き、那珂湊にて戦ったが降伏・出頭の上、処刑された。墓所は茨城県水戸市千波町円通寺。位階は贈正五位。