鳥居 忠文(とりい ただぶみ)は、江戸時代の大名。下野壬生藩の第8代(最後)の藩主。壬生藩鳥居家12代。弘化4年(1847年)9月11日、第6代藩主鳥居忠挙の四男として生まれる。慶応4年(1868年)3月、兄の第7代藩主忠宝の名代として上洛する。同年9月、忠宝の補佐を命じられる。明治2年(1869年)9月、忠宝の養子となる。明治3年(1870年)9月25日、忠宝が病気により隠居したため、その跡を継いで藩主(知藩事)となった。それにともない、従五位下に叙任した。明治4年(1871年)7月15日の廃藩置県で免官となり、同年9月5日に司法省中録に就任した。同年1......
鳥居 忠文(とりい ただぶみ)は、江戸時代の大名。下野壬生藩の第8代(最後)の藩主。壬生藩鳥居家12代。弘化4年(1847年)9月11日、第6代藩主鳥居忠挙の四男として生まれる。慶応4年(1868年)3月、兄の第7代藩主忠宝の名代として上洛する。同年9月、忠宝の補佐を命じられる。明治2年(1869年)9月、忠宝の養子となる。明治3年(1870年)9月25日、忠宝が病気により隠居し......