魚住 景固(うおずみ かげかた)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。朝倉氏、後に織田氏の家臣。魚住景貞は曽祖父。魚住氏は播磨国赤松氏の庶流。赤松氏の被官であったが景固の曾祖父・景貞の代に越前国の朝倉氏に仕えた。享禄元年(1528年)、魚住景栄の子として誕生。はじめ朝倉義景に仕え、奉行人として活躍。永禄11年1568年)、足利義昭が饗応された際に「年寄衆」で「辻固ノ人数」に入っている。(朝倉義景亭御成記)また元亀2年(1571年)5月26日に河合吉統・小泉吉道と共に剣神社に年貢の進納を命じている(剣神社文書)のを初めとして一乗谷奉行人としての活躍が見......
魚住 景固(うおずみ かげかた)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。朝倉氏、後に織田氏の家臣。魚住景貞は曽祖父。魚住氏は播磨国赤松氏の庶流。赤松氏の被官であったが景固の曾祖父・景貞の代に越前国の朝倉氏に仕えた。享禄元年(1528年)、魚住景栄の子として誕生。はじめ朝倉義景に仕え、奉行人として活躍。永禄11年1568年)、足利義昭が饗応された際に「年寄衆」で「辻固ノ人数」に......