魏 相(ぎ しょう、? - 紀元前59年)は、前漢の政治家。字は弱翁。済陰郡定陶県の出身で、後に平陵に移住した。易経を学んで郡の卒史から賢良に挙げられ、茂陵令となった。茂陵は大いに治まったという。河南太守に昇進し、豪族も憚る厳格な統治を行なった。しかし丞相田千秋(車千秋)が死亡した時、洛陽武庫令を務めていた車千秋の子が、父という後ろ盾をなくして魏相に罪で囚われるのを恐れて辞職したことが当時の権力者霍光の不興を買い、魏相は獄に下される。しかし河南郡の卒で長安で働いていた者3000人ほどが、自分達がもう1年働くことで魏相の罪を贖ってほしいと霍光に申し出、同じく......
魏 相(ぎ しょう、? - 紀元前59年)は、前漢の政治家。字は弱翁。済陰郡定陶県の出身で、後に平陵に移住した。易経を学んで郡の卒史から賢良に挙げられ、茂陵令となった。茂陵は大いに治まったという。河南太守に昇進し、豪族も憚る厳格な統治を行なった。しかし丞相田千秋(車千秋)が死亡した時、洛陽武庫令を務めていた車千秋の子が、父という後ろ盾をなくして魏相に罪で囚われるのを恐れて辞職した......