馬場 職家(ばば もといえ、天文元年(1532年) - 慶長13年(1608年))は、戦国時代から江戸時代初期の武将。幼名は岩法師、次、二郎四郎、重介。子に馬場実職。はじめ、備前国邑久郡北地村に居住、備前国砥石城城主浮田国定に仕え宇喜多直家との戦などで活躍したが、弘治2年(1556年)の戦では直家配下の花房正幸の放った矢に中指を射抜かれ負傷し、撤退した。主の国定がこの戦で滅ぼされた後は武を見込まれ宇喜多直家に召抱えられ300石を賜る。永禄6年(1563年)、美作国に侵攻した三村家親の軍勢と三星城での合戦、永禄7年(1564年、再び備前国に侵攻してきた備中衆......
馬場 職家(ばば もといえ、天文元年(1532年) - 慶長13年(1608年))は、戦国時代から江戸時代初期の武将。幼名は岩法師、次、二郎四郎、重介。子に馬場実職。はじめ、備前国邑久郡北地村に居住、備前国砥石城城主浮田国定に仕え宇喜多直家との戦などで活躍したが、弘治2年(1556年)の戦では直家配下の花房正幸の放った矢に中指を射抜かれ負傷し、撤退した。主の国定がこの戦で滅ぼされ......