韋 誕(い たん、179年 - 251年)は、中国後漢末期から三国時代の魏にかけての人物。字は仲将。司隷京兆郡杜陵県(陝西省西安の南)の出身。父は韋端。兄は韋康。建安年間に上計吏となり、特に郎中に任ぜられた。太和年間に武都太守となったが、書に巧みであったため、侍中として都に留められた。その後、中書監となり光禄大夫となった。75歳で没した。韋誕は書に優れており、草書をよくしたため「草聖」と呼ばれたが、一方で楷書もよくした。魏王朝の宝器の銘題は、全て韋誕が書いたと伝えられる。また宮殿の扁額もしばしば書いている。『世説新語』には宮殿を造営した際、梯子に登って扁額......
韋 誕(い たん、179年 - 251年)は、中国後漢末期から三国時代の魏にかけての人物。字は仲将。司隷京兆郡杜陵県(陝西省西安の南)の出身。父は韋端。兄は韋康。建安年間に上計吏となり、特に郎中に任ぜられた。太和年間に武都太守となったが、書に巧みであったため、侍中として都に留められた。その後、中書監となり光禄大夫となった。75歳で没した。韋誕は書に優れており、草書をよくしたため「......