面高 頼俊(おもだか よりとし / らいしゅん、生没年不詳)は戦国時代から江戸時代の薩摩国島津氏家臣で僧。通称は真蓮坊、後に善哉坊。父は面高英俊。子は面高俊昌、面高祐泉坊。面高氏は代々山伏の家系で、肥前国の面高郷との関係は不明ながら、天文年間頃より薩摩国の市来(現:いちき串木野市)辺りに住んだ。永禄4年(1561年)、頼俊は父の英俊と共に、島津貴久の名代として相模国鶴岡八幡宮へ参詣、永禄6年(1563年)に帰国する際は京都八幡に立ち寄り、御正躰三つを頼俊が背負って鹿児島の清水八幡へ運んだ。武将としての活躍は永禄9年(1566年)10月より見え、日向国伊東氏......
面高 頼俊(おもだか よりとし / らいしゅん、生没年不詳)は戦国時代から江戸時代の薩摩国島津氏家臣で僧。通称は真蓮坊、後に善哉坊。父は面高英俊。子は面高俊昌、面高祐泉坊。面高氏は代々山伏の家系で、肥前国の面高郷との関係は不明ながら、天文年間頃より薩摩国の市来(現:いちき串木野市)辺りに住んだ。永禄4年(1561年)、頼俊は父の英俊と共に、島津貴久の名代として相模国鶴岡八幡宮へ参......