画像引用元: urbanist.jp青山忠門
推定知名度0.08%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
青山 忠門(あおやま ただかど )は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。三河松平氏の家臣。青山氏は、上野国の出身で、忠門の時に近江国から三河国へ移り、額田郡百々村を領して松平広忠に仕えたという。第二次小豆坂の戦いにも参戦した。広忠死後は一時、今川義元の麾下に入るが、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いでは広忠の子・元康(のちの徳川家康)の寄騎となり、義元死後は元康に帰属する。永禄6年(1563年)、三河一向一揆の際も元康側につき、岡崎城を守備した。死に関しては諸説あり、元亀2年(1571年)武田氏の三河侵攻に際しては良く防戦したが、その時の傷が元で死亡したという説と、天正3年(1575年)、武田氏との戦いで討ち死にしたという説がある。1571年説では享年54、1575年説では享年65。子の忠成は徳川氏に仕え、江戸期を通じて譜代大名として列せられた。
過去の推移
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