青山 忠朝(あおやま ただとも)は江戸時代中期の大名、大坂城代。丹波亀山藩第3代藩主、丹波篠山藩初代藩主。青山家宗家7代。摂津尼崎藩主青山幸督の次男。享保15年(1730年)、本家である丹波亀山藩主の俊春が嗣子なく没したため、養子に入る。しかし、忠朝も嗣子に恵まれなかったため、兄幸秀の子の忠高を養子に迎えて跡を継がせた。
青山 忠朝(あおやま ただとも)は江戸時代中期の大名、大坂城代。丹波亀山藩第3代藩主、丹波篠山藩初代藩主。青山家宗家7代。摂津尼崎藩主青山幸督の次男。享保15年(1730年)、本家である丹波亀山藩主の俊春が嗣子なく没したため、養子に入る。しかし、忠朝も嗣子に恵まれなかったため、兄幸秀の子の忠高を養子に迎えて跡を継がせた。