青山 信昌(あおやま のぶまさ)は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。通称の与三右衛門(よそうえもん)で知られる。天文11年(1542年)、織田信長が父信秀から那古野城を与えられ城主になった際、平手政秀・林秀貞・内藤勝介と共に養育係として仕えた「四長(四家老)」の一人。天文16年(1547年)、織田氏の美濃国稲葉山城攻めに出陣し、斎藤道三の奇襲に遭い、織田信康など多くの将兵と共に討死した(加納口の戦い)。ただし、信昌が戦死した戦いが起きた時期を天文13年(1544年)とする説もあり、この場合には信長の元服以前に信昌は死去していたことになる。子の吉次はのちに前田......
青山 信昌(あおやま のぶまさ)は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。通称の与三右衛門(よそうえもん)で知られる。天文11年(1542年)、織田信長が父信秀から那古野城を与えられ城主になった際、平手政秀・林秀貞・内藤勝介と共に養育係として仕えた「四長(四家老)」の一人。天文16年(1547年)、織田氏の美濃国稲葉山城攻めに出陣し、斎藤道三の奇襲に遭い、織田信康など多くの将兵と共に討死......