画像引用元: community.img.mixi.jp難波経一
推定知名度0.04%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
難波 経一(なんば つねかず、1901年1月11日-1986年2月22日)は、大正・昭和期の官僚、実業家。東京府出身。妻直子は男爵岩倉道倶の二女、岩倉具視の孫娘である。東京府立一中(後の東京都立日比谷高等学校)、第一高等学校 (旧制)を経て、1924年(大正13年)東京帝国大学法学部政治学科卒。大学時代は東京大学運動会ラグビー部所属。東大卒業後、直に大蔵省入省。同期に古海忠之ら。当初東京税務監督局に勤務、ついで横須賀や神戸の税務署長を歴任したのち満州国に転出し、1933年1月より阿片漸減政策に基づき阿片取扱等を監督する専売公署副署長、専売総局副局長を歴任。1937年11月に冀東政府最高顧問・河北省顧問に就任、その後満州国総務庁参事官を辞して民間に入り、満州電気化学工業常務理事・満州生活必需品配給株式会社取締役・外満州合成ゴム取締役等を経て、1943年3月商工省金属回収本部初代本部長に就任する。1944年6月より軍需省燃料局長官、1945年6月同整備局長官。戦後は山陽国策パルプ社長や会長を務めた。戦後の1947年、伊集院浩、香山蕃ら、鹿島建設と共に東京ラグビー場(現・秩父宮ラグビー場)建設に尽力し、また、世界で初めての40歳以上のラグビークラブである不惑倶楽部を創設して初代会長(会長在任期間:1948年(昭和23年)3月 〜 1971年(昭和46年)1月)を務めた。
過去の推移
–06
–07
–08
–09
–10
–11
–12
–13
0.0314
0.0415
0.0416
