陳 慶鏞(ちん けいよう、''Chen Qingyong''、1795年 - 1858年)、字は乾翔または頌南。清末の官僚。福建省晋江出身。1832年に進士となり、庶吉士に選ばれ、戸部主事、員外郎、御史を歴任した。1843年、阿片戦争で屈辱的な和約を結び失脚していたキシャン(琦善)らの復権に反対する上奏を行い、大いに名声を高めた。その後官を辞し郷里に帰っていたが、咸豊帝の即位とともに御史として再起用された。当時、太平天国の乱の拡大とともに福建省でも民衆蜂起が発生していた。1853年、郷里に戻って団練を組織し、恵安で発生した邱二娘の乱を鎮圧し、邱二娘を捕えた......
陳 慶鏞(ちん けいよう、''Chen Qingyong''、1795年 - 1858年)、字は乾翔または頌南。清末の官僚。福建省晋江出身。1832年に進士となり、庶吉士に選ばれ、戸部主事、員外郎、御史を歴任した。1843年、阿片戦争で屈辱的な和約を結び失脚していたキシャン(琦善)らの復権に反対する上奏を行い、大いに名声を高めた。その後官を辞し郷里に帰っていたが、咸豊帝の即位とと......