陰 麗華(いん れいか、5年 - 64年)は、後漢の光武帝(劉秀)の皇后で明帝の母。諡は烈(諡号としては光烈皇后)。異母兄に陰識、同母弟に陰興、陰訢、陰就がいる。劉秀と同じ南陽郡(今の河南省と湖北省にまたがる)の新野県出身の豪族陰氏の娘で、近隣でも評判の美女として、挙兵前の光武帝もあこがれるほどであったという。更始1年(23年)に劉秀に嫁いだ。建武1年(25年)に劉秀が即位すると貴人として洛陽に迎えられた。しかしこの時、光武帝が後に娶った郭昌の娘の郭聖通(郭貴人)が先に男子の劉彊を産んでいた。光武帝は陰貴人を皇后に擁立したいと思うものの、陰麗華は男子を産ん......
陰 麗華(いん れいか、5年 - 64年)は、後漢の光武帝(劉秀)の皇后で明帝の母。諡は烈(諡号としては光烈皇后)。異母兄に陰識、同母弟に陰興、陰訢、陰就がいる。劉秀と同じ南陽郡(今の河南省と湖北省にまたがる)の新野県出身の豪族陰氏の娘で、近隣でも評判の美女として、挙兵前の光武帝もあこがれるほどであったという。更始1年(23年)に劉秀に嫁いだ。建武1年(25年)に劉秀が即位すると......