長野 顕業(ながの あきなり、生没年不詳)は、戦国時代初期の上野国の武将。弾正少弼。聖仲(せいちゅう)の法号で知られる。彼が開いたとされる祝昌寺の位牌に「当寺開基為聖仲志庵主、中興弾正顕業」と記されている。実名の顕業は関東管領上杉顕定の一字を与えられたとみられている。また、永正3年8月6日(1506年8月24日)に厩橋城主である長野賢忠が顕業の菩提を弔うために寺領を寄進していることから、顕業も厩橋長野氏当主でこの日以前に没して息子と思われる賢忠が後を継いだとみられる。また、黒田基樹は長尾景春の乱で戦死した長野為業(為兼)を顕業の父とし、顕業の代に石倉城から......
長野 顕業(ながの あきなり、生没年不詳)は、戦国時代初期の上野国の武将。弾正少弼。聖仲(せいちゅう)の法号で知られる。彼が開いたとされる祝昌寺の位牌に「当寺開基為聖仲志庵主、中興弾正顕業」と記されている。実名の顕業は関東管領上杉顕定の一字を与えられたとみられている。また、永正3年8月6日(1506年8月24日)に厩橋城主である長野賢忠が顕業の菩提を弔うために寺領を寄進しているこ......