画像引用元: blogs.c.yimg.jp長尾景人
推定知名度0.92%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
長尾 景人(ながお かげひと、文安2年(1445年)? - 文明_(日本)|文明4年5月1日 (旧暦)|5月1日(1472年6月7日)は、室町時代後期の武将。山内上杉家の家臣である長尾氏|足利長尾氏の祖。長尾実景の次男。兄に長尾景住|景住(憲景?)、弟に長尾房清|房清がいる。子に長尾定景 (足利長尾氏)|定景、長尾景長|景長。通称は新五郎。官位は但馬国|但馬守。享徳3年(1454年)12月に父と兄が関東管領上杉憲忠と共に足利成氏に殺害された為、家督を継いで憲忠の弟上杉房顕|房顕に仕えて成氏と戦った(享徳の乱)。長禄3年(1459年)の五十子の戦い#太田庄の戦い|太田庄の戦いにも参戦している。寛正6年(1465年)、房顕の推挙で室町幕府から下野国|下野足利荘の代官に任命され、翌年11月、勧農城に入部した。以後、景人の一族は鎌倉長尾氏から足利長尾氏と呼ばれるようになる。上杉氏はここを拠点にして応仁2年(1468年)の上野国|上野綱取原合戦、文明_(日本)|文明3年(1471年)には下野に出陣、古河城を落としている。景人はこれらの合戦に加わったが、翌年になると成氏の反撃によって足利荘に攻め込まれ、その戦いの最中に死去。享年は28と推定される。嫡男の定景が継いだ。法名は積翁常善居士。墓は栃木県足利市の長林寺。
過去の推移
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