長久保 赤水(ながくぼ せきすい、本名:玄珠、俗名:源五兵衛、享保2年11月6日(1717年12月8日) - 享和元年7月23日(1801年8月31日))は、江戸時代中期の地理学者、漢学者である。常陸国多賀郡赤浜村(現在の茨城県高萩市)出身。号の赤水と字の玄珠は荘子の天地篇にある『黄帝、''赤水''の北に遊び、崑崙の丘に登って、面して南方して還帰し、其''玄珠''を遺せり。』から取られている。
長久保 赤水(ながくぼ せきすい、本名:玄珠、俗名:源五兵衛、享保2年11月6日(1717年12月8日) - 享和元年7月23日(1801年8月31日))は、江戸時代中期の地理学者、漢学者である。常陸国多賀郡赤浜村(現在の茨城県高萩市)出身。号の赤水と字の玄珠は荘子の天地篇にある『黄帝、''赤水''の北に遊び、崑崙の丘に登って、面して南方して還帰し、其''玄珠''を遺せり。』から......