鈴木 重邦(すずき しげくに)は、平安時代末期の武将・豪族。穂積姓、藤白鈴木氏の当主で、左近丞・鈴木重元の子。妻は藤原宗永の娘。官位は刑部左衛門尉。紀伊国名草郡藤白に居住し、源為義に属して武功を得たと伝わる。また、鳥羽上皇御幸時に衛府官として行宮のお供をし奉仕した。天承元年(1131年)に37歳で没した。法名は宗円入道。弟の鈴木重次は右兵衛少尉に任官され、源為義に属して保元の乱に参加している。
鈴木 重邦(すずき しげくに)は、平安時代末期の武将・豪族。穂積姓、藤白鈴木氏の当主で、左近丞・鈴木重元の子。妻は藤原宗永の娘。官位は刑部左衛門尉。紀伊国名草郡藤白に居住し、源為義に属して武功を得たと伝わる。また、鳥羽上皇御幸時に衛府官として行宮のお供をし奉仕した。天承元年(1131年)に37歳で没した。法名は宗円入道。弟の鈴木重次は右兵衛少尉に任官され、源為義に属して保元の乱に......