金光 備前(かなみつ びぜん、生没年不詳)は、備前国で松田氏に属していた有力国人である。名前の備前は備前守の略称であるともいわれ、本名は不明。資料が乏しいため謎の多い人物である。しかしながら、「備前軍記」「陰徳太平記」など様々な歴史書から推察すると、備前は大永年間あたりから金光氏の勢力を拡大させていると思われ、直接采配していたと仮定すると少なくとも明応元年(1492年)前後には出生していると考えられる。大永年間(文献で大永年間と記述しているのみであるため)には旭川西岸の石山城(岡山城)を居城とし、城に隣接する金光山岡山寺を保護したとされる。(養子の金光宗高......
金光 備前(かなみつ びぜん、生没年不詳)は、備前国で松田氏に属していた有力国人である。名前の備前は備前守の略称であるともいわれ、本名は不明。資料が乏しいため謎の多い人物である。しかしながら、「備前軍記」「陰徳太平記」など様々な歴史書から推察すると、備前は大永年間あたりから金光氏の勢力を拡大させていると思われ、直接采配していたと仮定すると少なくとも明応元年(1492年)前後には出......