金井 忠倫(かない ただとも)は、江戸時代後期の佐倉藩の重臣。右膳(うぜん)の通称で知られている。父は佐倉藩の家老を務めた金井忠明。文化9年(1812年)より出仕して藩主の堀田正愛に仕えた。文化11年(1814年)には小寄合10人扶持に任じられる。文化14年(1817年)3月に父が隠居すると、700石の家督を相続し、正愛の側用人・新番徒頭として藩政に参与した。金井は政治力や駆け引きに長け、文政4年(1821年)の陸奥白河藩の松平定信・定永父子の佐倉移封問題では藩主の同族である若年寄の堀田正敦と裏工作を行なって移封を食い止めた。文政6年(1823年)11月、......
金井 忠倫(かない ただとも)は、江戸時代後期の佐倉藩の重臣。右膳(うぜん)の通称で知られている。父は佐倉藩の家老を務めた金井忠明。文化9年(1812年)より出仕して藩主の堀田正愛に仕えた。文化11年(1814年)には小寄合10人扶持に任じられる。文化14年(1817年)3月に父が隠居すると、700石の家督を相続し、正愛の側用人・新番徒頭として藩政に参与した。金井は政治力や駆け引......