野利仁栄(やりじんえい、? - 1042年)は、西夏の景宗李元昊に近侍した政治家・学者で、景宗の皇后である野利氏の一族である。『宋史』によれば、景宗の命により、西夏語を記述するための西夏文字を作成した。西夏文字は1036年(大慶元年)または1038年(大慶3年)に約6000文字が公布された。ただし、文字の作成は野利仁栄の独力で行われたのではなく、原案を作成したのは野利遇乞であり、仁栄は遇乞の原案を改良したのだとの見方もある(では「野利遇乞創造的」と書かれている)。死後、富平侯に封じられ、1162年(天盛14年)には仁宗から広恵王の位を追贈された。
野利仁栄(やりじんえい、? - 1042年)は、西夏の景宗李元昊に近侍した政治家・学者で、景宗の皇后である野利氏の一族である。『宋史』によれば、景宗の命により、西夏語を記述するための西夏文字を作成した。西夏文字は1036年(大慶元年)または1038年(大慶3年)に約6000文字が公布された。ただし、文字の作成は野利仁栄の独力で行われたのではなく、原案を作成したのは野利遇乞であり、......