酒井 忠英(さかい ただひで、元禄14年(1701年)- 元文元年10月9日(1736年11月11日))は、出羽松山藩2代藩主・酒井忠予の長男。正室は富山藩主・前田正甫の娘。子に忠郷(長男)、忠起(次男)らがいる。通称、主膳。父・忠予の長男として生まれたが、享保17年(1732年)に盲目となって廃嫡され、藩から1,000俵を支給された。代わって忠休が嫡子となり、のち3代藩主に就任した。忠英の長男・忠郷、次男・忠起は忠休の養子となったが、いずれも家督相続前に死去した。このため継嗣争いが激化し、後の「宝暦騒動」を引き起こした。元文元年(1736年)死去。たたひ......
酒井 忠英(さかい ただひで、元禄14年(1701年)- 元文元年10月9日(1736年11月11日))は、出羽松山藩2代藩主・酒井忠予の長男。正室は富山藩主・前田正甫の娘。子に忠郷(長男)、忠起(次男)らがいる。通称、主膳。父・忠予の長男として生まれたが、享保17年(1732年)に盲目となって廃嫡され、藩から1,000俵を支給された。代わって忠休が嫡子となり、のち3代藩主に就任......