近衛 基前(このえ もとさき、天明3年8月11日(1783年9月7日) - 文政3年4月19日(1820年5月30日))は江戸時代後期の公卿。父は近衛経熙。母は有栖川宮職仁親王の女である董子。室は松平義当の娘。号は証常楽院。子に近衛忠煕、娘(津軽信順室)。養女に福君(鷹司政煕女子。徳川斉温室・定子)、増子(伏見宮貞敬親王第八女子。東本願寺達如の長男宝如の妻)。「基」の字を与えた広幡基豊は猶子とみられる。
近衛 基前(このえ もとさき、天明3年8月11日(1783年9月7日) - 文政3年4月19日(1820年5月30日))は江戸時代後期の公卿。父は近衛経熙。母は有栖川宮職仁親王の女である董子。室は松平義当の娘。号は証常楽院。子に近衛忠煕、娘(津軽信順室)。養女に福君(鷹司政煕女子。徳川斉温室・定子)、増子(伏見宮貞敬親王第八女子。東本願寺達如の長男宝如の妻)。「基」の字を与えた広......