辺 譲(へん じょう、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。兗州陳留郡浚儀県(河南省開封市)の出身。字は文礼。若くして能弁博学で文才があった。その作による章華賦は、楚の霊王の遊蕩を淫麗に描写しながら、最後にはこれを改め正すという作風で、司馬相如の如くと評された。何進はその才を聞いて招聘しようとしたが、辺譲が恐れて応じなかったため、軍事の徴召(皇帝による招聘)と偽って呼び寄せ、自分の令史とした。任官すると、何進は礼を以って辺譲に対応した。辺譲は占射(器の中身を易で当てる術。射覆)や弁論に秀で、賓客で堂を一杯にしたため、それを羨まない者はなく、孔融や王朗もこれを......
辺 譲(へん じょう、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。兗州陳留郡浚儀県(河南省開封市)の出身。字は文礼。若くして能弁博学で文才があった。その作による章華賦は、楚の霊王の遊蕩を淫麗に描写しながら、最後にはこれを改め正すという作風で、司馬相如の如くと評された。何進はその才を聞いて招聘しようとしたが、辺譲が恐れて応じなかったため、軍事の徴召(皇帝による招聘)と偽って呼び寄せ、自分の......