趙 烈文(ちょう れつぶん、''Zhao Liewen''、1832年 - 1894年)、字は恵甫または偉甫。曽国藩の幕僚。江蘇省常熟出身。名家の出で先祖の趙申僑は康煕帝の時代に戸部尚書を務めた。若くして文名を知られたが、省試を三度受けて三度とも落第した。1855年12月、曽国藩が南昌で太平天国軍に苦戦していたときに、同郷の周騰虎の推薦で趙烈文は曽国藩の幕府に入った。その日に樟樹鎮に駐屯する湘軍を見たが、「陸軍の士気が弛緩しており、頼りになるか心もとない」と指摘した。果たしてしばらく後に樟樹鎮の部隊は大敗を喫した。1864年に曽国荃が太平天国の都の南京を陥......
趙 烈文(ちょう れつぶん、''Zhao Liewen''、1832年 - 1894年)、字は恵甫または偉甫。曽国藩の幕僚。江蘇省常熟出身。名家の出で先祖の趙申僑は康煕帝の時代に戸部尚書を務めた。若くして文名を知られたが、省試を三度受けて三度とも落第した。1855年12月、曽国藩が南昌で太平天国軍に苦戦していたときに、同郷の周騰虎の推薦で趙烈文は曽国藩の幕府に入った。その日に樟樹......