赤松 貞村(あかまつ さだむら、明徳4年(1393年) - 文安4年(1447年)?)は、室町時代の播磨・美作・備前の守護職である赤松氏の一族。伊豆守。父の赤松満貞(みつさだ)は3代将軍足利義満、満貞の従兄弟にあたる赤松持貞は4代将軍足利義持、子の赤松教貞(のりさだ)は6代将軍足利義教から、それぞれ偏諱を賜っている。応永34年(1427年)に本家当主の赤松満祐が出奔する事件がおこり、その政治的解決のために当時の赤松春日部家の当主である赤松持貞は自害に追い込まれた。そのあとを継いだのが持貞の従甥にあたる赤松貞村だった。持貞と同様に将軍の近習となった貞村は、妹......
赤松 貞村(あかまつ さだむら、明徳4年(1393年) - 文安4年(1447年)?)は、室町時代の播磨・美作・備前の守護職である赤松氏の一族。伊豆守。父の赤松満貞(みつさだ)は3代将軍足利義満、満貞の従兄弟にあたる赤松持貞は4代将軍足利義持、子の赤松教貞(のりさだ)は6代将軍足利義教から、それぞれ偏諱を賜っている。応永34年(1427年)に本家当主の赤松満祐が出奔する事件がおこ......