費無忌(ひむき、? - 紀元前515年)は、中国の春秋時代の楚の臣。平王に仕えた奸臣として有名である。費無極とも。最初は平王の息子であるの少傅(太子の副教育係)を務めていた。少傅の上の太傅には伍奢(太子の教育係)が就いていた。あるとき、費無忌は平王の命令で建の妻を求めるために秦へ赴いた。建の妻となる秦の公女は大変美しかった。費無忌は平王の側近として権勢を振るう野心を抱いていたため平王に「秦の公女は大変な美貌ですので公女をご自分で娶られ、太子には別の女を嫁がせると良いでしょう」と言った。平王は秦の公女を自分で娶り、太子建には別の女を与えた。この一件で費無忌は......
費無忌(ひむき、? - 紀元前515年)は、中国の春秋時代の楚の臣。平王に仕えた奸臣として有名である。費無極とも。最初は平王の息子であるの少傅(太子の副教育係)を務めていた。少傅の上の太傅には伍奢(太子の教育係)が就いていた。あるとき、費無忌は平王の命令で建の妻を求めるために秦へ赴いた。建の妻となる秦の公女は大変美しかった。費無忌は平王の側近として権勢を振るう野心を抱いていたため......