諫早 直孝(いさはや なおのり、天正4年(1576年) - 寛永14年(1637年))は、2代諫早邑主。龍造寺家晴の子。石見守。室は龍造寺政家の娘松壽院、継室は佐賀藩主鍋島直茂三女彦菊(長寿院)。子に鍋島茂和室、諫早茂敬、彦宮(鍋島勝茂養女、鍋島常貞室)。地名を伊佐早より諫早に改め、龍造寺姓より諫早姓に改姓した。佐賀藩の「親類同格」(龍造寺系の四家)として、藩の中核として藩政をみた。墓所は諫早氏代々の墓がある諫早市天祐寺。
諫早 直孝(いさはや なおのり、天正4年(1576年) - 寛永14年(1637年))は、2代諫早邑主。龍造寺家晴の子。石見守。室は龍造寺政家の娘松壽院、継室は佐賀藩主鍋島直茂三女彦菊(長寿院)。子に鍋島茂和室、諫早茂敬、彦宮(鍋島勝茂養女、鍋島常貞室)。地名を伊佐早より諫早に改め、龍造寺姓より諫早姓に改姓した。佐賀藩の「親類同格」(龍造寺系の四家)として、藩の中核として藩政をみ......