諏訪 頼蔭(すわ よりかげ、寛永20年8月9日(1643年9月21日) - 享保10年10月1日(1725年11月5日))は江戸時代の旗本。信濃国諏訪藩2代藩主諏訪忠恒の次男。3代藩主諏訪忠晴の弟。母は中嶋氏。正室は有馬康純の娘。子に頼戡、頼深(頼久の養子となる)がいる。官位は従五位下、下総守。通称は兵部。初名は頼尚(よりなお)。承応3年(1654年)11月10日、将軍徳川家綱に拝謁する。明暦3年(1657年)3月25日、兄の忠晴が家督を相続した際、同国筑摩郡1,000石(埴原知行所)を分知され、寄合に列する。寛文9年(1669年)9月11日、御小姓組頭と......
諏訪 頼蔭(すわ よりかげ、寛永20年8月9日(1643年9月21日) - 享保10年10月1日(1725年11月5日))は江戸時代の旗本。信濃国諏訪藩2代藩主諏訪忠恒の次男。3代藩主諏訪忠晴の弟。母は中嶋氏。正室は有馬康純の娘。子に頼戡、頼深(頼久の養子となる)がいる。官位は従五位下、下総守。通称は兵部。初名は頼尚(よりなお)。承応3年(1654年)11月10日、将軍徳川家綱に......