西川 秋次(にしかわ あきじ、1881年12月2日 - 1963年9月13日)は豊田佐吉の片腕として活躍したトヨタ(豊田)初期の大番頭である。秋次は失意の豊田佐吉の渡米にひとり同行し、アメリカ滞在を支えた。秋次は佐吉の夢であった海外への進出に大きな働きをした。中国・上海に工場設立後は佐吉に代わり事実上の責任者として豊田紡織廠(とよだぼうしょくしょう)の経営に携わった。佐吉没後も、中国に留まり、佐吉の夢の実現に努力した。また、秋次は豊田喜一郎が自動車への進出を決めた際には、全面的に中国から支援することを申し出た。1945年(昭和20年)の終戦の後も国民政府の......
西川 秋次(にしかわ あきじ、1881年12月2日 - 1963年9月13日)は豊田佐吉の片腕として活躍したトヨタ(豊田)初期の大番頭である。秋次は失意の豊田佐吉の渡米にひとり同行し、アメリカ滞在を支えた。秋次は佐吉の夢であった海外への進出に大きな働きをした。中国・上海に工場設立後は佐吉に代わり事実上の責任者として豊田紡織廠(とよだぼうしょくしょう)の経営に携わった。佐吉没後も、......