裴 秀(はい しゅう、224年 - 271年)は、中国三国時代から西晋の政治家。魏・西晋に仕えた。字は季彦。司隷河東郡の人。祖父は裴茂。父は裴潜。子は裴浚・裴頠。叔父は裴徽。『三国志』の裴潜の伝に引用された『文章叙録』にまとまった記述があり、『晋書』にも独立した伝がある。子供の頃から学問を好んだ。当時叔父の名声が高く、裴秀は生母の身分が低かったため、父の正室である継母に母子ともに冷遇されていたが、生母が毅然と振る舞ったため、継母のいじめが止んだという。人々は裴秀が裴家の後継であると認識するようになった。毌丘倹の推挙で曹爽に採り立てられた。24......
裴 秀(はい しゅう、224年 - 271年)は、中国三国時代から西晋の政治家。魏・西晋に仕えた。字は季彦。司隷河東郡の人。祖父は裴茂。父は裴潜。子は裴浚・裴頠。叔父は裴徽。『三国志』の裴潜の伝に引用された『文章叙録』にまとまった記述があり、『晋書』にも独立した伝がある。子供の頃から学問を好んだ。当時叔父の名声が高く、裴秀は生母の身分が低かったため、父の正室である継母に母子ともに......