画像引用元: www.uplink.co.jp裴ケイ
推定知名度1.21%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
裴鉶(はいけい)は晩唐の官僚、作家。生歿年は不明であるが、大略大中から光啓(文徳)に掛けての懿宗、僖宗の頃(基督教暦859年から888年。下皆效此)の活動が伝えられている。伝奇集『伝奇』の撰者で、谷神子(こくしんし)と号した。懿宗の咸通5年(864年)から9年に掛けて、がであった時に高の掌書記として仕えて侍御史、内供奉の官を加えられる。この間道教信者であった高が神仙の話を好んだ為に『伝奇』を著して進めたといい、現伝するその諸則を通じても道教的要素が強い点は認められ、裴が洪州の鍾陵(しょうりょう。現中華人民共和国江西省南昌市)の山中で道教の修行に励んだとの伝もあるので同じく道教を信奉していたものと思われる一方、或いは高に迎合しただけであった可能性もある。僖宗乾符5年(878年)、御史大夫を授かっての副使となる。乾符2年から5年迄は高が兼成都尹(の)であったので、裴の節度副使赴任は高が成都を去った後の事と思われ、また、こうした官職は同代伝奇作家に比べると官僚として出世した方であり、その背景に高の推挽があったものと考えられる。以後の経歴を伝える記録は残されていないが、光啓3年(887年)に高が弑され幕下の吏も悉く誅された際には高と距離を置いて難を逃れたようである。作品には『伝奇』の他に、『全唐詩』巻597に収めるに題した七言律詩1首、『全唐文』巻805に収める「天威径新鑿海派碑」1篇が残され、また、谷神子名義で『道生(士)旨』1巻を著している。
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