袁 昶(えん ちょう、''Yuan Chang''、1846年 - 1900年)、字は爽秋、号は重黎、清末の官僚。浙江省桐廬(現在の杭州市)出身。貧しい家庭に生まれるが、閩県の高伯年に師事した後、上海市|上海の龍門書院に入って劉熙載に師事した。1867年に挙人となり、1876年に進士となって戸部主事の職を授かった。1883年、総理各国事務衙門章京となり、1886年には会典館纂修官となり戸部江西司員外郎となった。1892年、徽寧池太広道道台となった。在任中は、教育の方面では、「中体西用」の方針で、蕪湖中江書院を拡張し、「経義」「治事」の2学科を設け、経史・性......
袁 昶(えん ちょう、''Yuan Chang''、1846年 - 1900年)、字は爽秋、号は重黎、清末の官僚。浙江省桐廬(現在の杭州市)出身。貧しい家庭に生まれるが、閩県の高伯年に師事した後、上海市|上海の龍門書院に入って劉熙載に師事した。1867年に挙人となり、1876年に進士となって戸部主事の職を授かった。1883年、総理各国事務衙門章京となり、1886年には会典館纂修官......