藤江 監物(ふじえ けんもつ、貞享4年(1687年) - 享保16年8月27日(1731年9月27日)は江戸時代中期の日向延岡藩家老。名は満遭(みつゆき)。字は主水(もんど)と称した。父は牧野成央に仕えた延岡藩家老・藤江竹右衛門(たけうえもん)、母は丹(たん)。妻は縫(佐沢覚左衛門二女)、長男に与一郎(後に図書)、次男に竹之進(後に多治見)、三男に礼二郎(後に川崎右膳)がいる。
藤江 監物(ふじえ けんもつ、貞享4年(1687年) - 享保16年8月27日(1731年9月27日)は江戸時代中期の日向延岡藩家老。名は満遭(みつゆき)。字は主水(もんど)と称した。父は牧野成央に仕えた延岡藩家老・藤江竹右衛門(たけうえもん)、母は丹(たん)。妻は縫(佐沢覚左衛門二女)、長男に与一郎(後に図書)、次男に竹之進(後に多治見)、三男に礼二郎(後に川崎右膳)がいる。