藤堂 長熙(とうどう ながひろ、元禄11年(1698年) - 安永5年5月2日(1776年6月17日))は、津藩士名張藤堂家(藤堂宮内家)第5代。伊賀国名張1万5000石の領主。幼名安次郎、安之進。初名長護。通称宮内。号可照軒。実父は名張藤堂家分家の藤堂修理家第2代・藤堂長定。藤堂高吉の曾孫。丹羽長秀の玄孫。名張藤堂家第4代・藤堂長源の婿養子として名張藤堂家を相続した。正室は長源の娘知久、継室は一柳直昌の娘。子は藤堂長辰、藤堂長美、藤堂長旧。元禄11年(1698年)、藤堂修理長定の子として伊賀上野に誕生した。享保元年(1716年)、従兄の藤堂宮内長源が病没......
藤堂 長熙(とうどう ながひろ、元禄11年(1698年) - 安永5年5月2日(1776年6月17日))は、津藩士名張藤堂家(藤堂宮内家)第5代。伊賀国名張1万5000石の領主。幼名安次郎、安之進。初名長護。通称宮内。号可照軒。実父は名張藤堂家分家の藤堂修理家第2代・藤堂長定。藤堂高吉の曾孫。丹羽長秀の玄孫。名張藤堂家第4代・藤堂長源の婿養子として名張藤堂家を相続した。正室は長源......