藤堂 長定(とうどう ながさだ、寛文11年(1671年) - 宝永4年(1707年)は、津藩士藤堂修理家第2代。通称修理、九兵衛。俳号は橋木。名張藤堂家(藤堂宮内家)第2代長正の三男。子は藤堂長熙、藤堂長桓。叔父長則の養子となって跡を継いだ。知行石高は1500石。高知役(母衣組)、加判奉行を勤めた。家臣に松尾芭蕉の甥の山岸半残がいる。宝永4年(1707年)没。享年37。家督は次男の長桓が相続した。長男の長熙は本家の名張藤堂家を相続している。なかさたCategory:津藩の人物Category:1671年生Category:1707年没
藤堂 長定(とうどう ながさだ、寛文11年(1671年) - 宝永4年(1707年)は、津藩士藤堂修理家第2代。通称修理、九兵衛。俳号は橋木。名張藤堂家(藤堂宮内家)第2代長正の三男。子は藤堂長熙、藤堂長桓。叔父長則の養子となって跡を継いだ。知行石高は1500石。高知役(母衣組)、加判奉行を勤めた。家臣に松尾芭蕉の甥の山岸半残がいる。宝永4年(1707年)没。享年37。家督は次男......