藍 成春(らん せいしゅん、''Lan Chengchun''、? - 1864年)は、太平天国の指導者の一人。祜王に封ぜられた。広西省出身。早くから拝上帝会に加入し、金田蜂起に参加した。1857年、三河鎮を守備していたが清のドシンガが廬州より侵攻すると、天京に救援を求めたが天京事変の影響で援軍は来ず、三河鎮は陥落した。藍成春は逃れて、英王陳玉成の部に属した。1863年、扶王陳得才・遵王頼文光・啓王梁成富とともに漢中に入り、8月に占領した。しかし翌年、天京救援の命が下り、陳得才・頼文光とともに漢中を撤退して東に向かった。河南省南陽、湖北省襄陽を経て、5月2......
藍 成春(らん せいしゅん、''Lan Chengchun''、? - 1864年)は、太平天国の指導者の一人。祜王に封ぜられた。広西省出身。早くから拝上帝会に加入し、金田蜂起に参加した。1857年、三河鎮を守備していたが清のドシンガが廬州より侵攻すると、天京に救援を求めたが天京事変の影響で援軍は来ず、三河鎮は陥落した。藍成春は逃れて、英王陳玉成の部に属した。1863年、扶王陳得......