蒋 益澧(しょう えきれい、''Jiang Yili''、1825年 - 1874年)、字は薌泉は清朝の官僚、湘軍の指揮官。湖南省湘郷出身。若い時から保守的な郷里と合わず、四方を旅する生活を送ったが、咸豊の初めに湘軍に加入した。最初は曽国藩の直属部隊にいたが、1854年に羅沢南の部隊に転じ、江西省・湖北省で太平天国軍と戦い、戦功により知府に任命された。1857年、広西巡撫駱秉章の招きで、広西省で大成国の鎮圧に加わり、道員に昇進してバトゥルの称号を得た。1858年には大成国から柳州を奪回した。1859年、太平天国の石達開軍が湖南省から広西省に進出したが、援軍......
蒋 益澧(しょう えきれい、''Jiang Yili''、1825年 - 1874年)、字は薌泉は清朝の官僚、湘軍の指揮官。湖南省湘郷出身。若い時から保守的な郷里と合わず、四方を旅する生活を送ったが、咸豊の初めに湘軍に加入した。最初は曽国藩の直属部隊にいたが、1854年に羅沢南の部隊に転じ、江西省・湖北省で太平天国軍と戦い、戦功により知府に任命された。1857年、広西巡撫駱秉章の......