菅沼 定村(すがぬま さだむら、大永元年(1521年) − 弘治2年8月4日(1556年9月17日))は、戦国時代の武将。菅沼定則の長男。野田菅沼氏2代目。幼名、竹千代。通称、新八郎。織部正。正室は深溝松平忠定の娘。菅沼定盈は長男。田峯菅沼家の資料ではさだすえ。天文13年(1544年)1月、父の隠居により家督を継ぐ。同年4月、領内に母の菩提寺・能満寺を建立する。今川氏への忠勤に励んでいた弘治2年(1556年)、奥平貞勝の今川氏離反に本家・田峯菅沼氏も加担。それぞれ、本拠に立て籠もった。自身は離反に加担しなかったが、三右衛門定圓・伝一郎定自ら定村に不満を持っ......
菅沼 定村(すがぬま さだむら、大永元年(1521年) − 弘治2年8月4日(1556年9月17日))は、戦国時代の武将。菅沼定則の長男。野田菅沼氏2代目。幼名、竹千代。通称、新八郎。織部正。正室は深溝松平忠定の娘。菅沼定盈は長男。田峯菅沼家の資料ではさだすえ。天文13年(1544年)1月、父の隠居により家督を継ぐ。同年4月、領内に母の菩提寺・能満寺を建立する。今川氏への忠勤に励......