苻 崇(ふ すう)は、五胡十六国時代の前秦の末代皇帝。394年7月、苻崇は、父苻登が戦死すると、湟中へ逃れて前秦皇帝に即位、延初と改元し苻宣を立太子した。同年10月、西秦の乞伏乾帰が軍を擁して湟中へ迫ると、苻崇は仇池の楊定(後仇池初代王)を頼った。楊定はすぐに乞伏乾帰を攻撃したが、反撃にあって敗れ、苻崇・楊定ともに殺害され前秦は滅亡した。なお、皇太子の苻宣は後仇池に留まり、前秦滅亡後も楊盛(後仇池の第2代王)によって丁重に遇された。すうCategory:394年没Category:暗殺された人物
苻 崇(ふ すう)は、五胡十六国時代の前秦の末代皇帝。394年7月、苻崇は、父苻登が戦死すると、湟中へ逃れて前秦皇帝に即位、延初と改元し苻宣を立太子した。同年10月、西秦の乞伏乾帰が軍を擁して湟中へ迫ると、苻崇は仇池の楊定(後仇池初代王)を頼った。楊定はすぐに乞伏乾帰を攻撃したが、反撃にあって敗れ、苻崇・楊定ともに殺害され前秦は滅亡した。なお、皇太子の苻宣は後仇池に留まり、前秦滅......