苗賁皇(びょうふんこう)は中国春秋時代の晋の政治家。姓は羋、氏は闘、後に封地名から苗、諱は賁皇。楚の闘椒の子。楚の荘王が闘椒を討った際、晋へ亡命して、晋景公に仕えた。このとき、景公から苗の地を賜り苗氏を名乗るようになった。あるとき次卿の郤克が、斉に晋の主宰する会盟への参加を求めて使いしたところ、郤克は斉頃公の母に容貌が醜悪でびっこを引いているのを笑われた。郤克は怒り、従者の欒京盧に必ず斉君を会盟に引きずり出すように言い残して晋に帰国し、斉の討伐を行うことを景公に願い出たが、景公はこれを許さなかった。欒京盧を通じて郤克の怒りの凄まじさを知った頃公は恐れ、卿の......
苗賁皇(びょうふんこう)は中国春秋時代の晋の政治家。姓は羋、氏は闘、後に封地名から苗、諱は賁皇。楚の闘椒の子。楚の荘王が闘椒を討った際、晋へ亡命して、晋景公に仕えた。このとき、景公から苗の地を賜り苗氏を名乗るようになった。あるとき次卿の郤克が、斉に晋の主宰する会盟への参加を求めて使いしたところ、郤克は斉頃公の母に容貌が醜悪でびっこを引いているのを笑われた。郤克は怒り、従者の欒京盧......