胡 済(こ せい、? - 景耀4年(261年?))は、中国三国時代の蜀漢の人物。字は偉度。荊州義陽郡の出身。当初は諸葛亮の主簿を務めたという。また諸葛亮の死後は中典軍として軍務に就いた。後に中監軍・前将軍に昇進し、督漢中として漢中に駐留した。延熙19年(256年)には、鎮西大将軍として姜維の北伐に参加した。姜維は上邽で胡済と合流し魏の鄧艾を破る計画を立てたが、計画の通りに合流できず、また鄧艾にも軍の動きを読まれたため攻勢が失敗した。このために姜維は退却するも追撃を受け、段谷で散々に撃ち破られた。戦後、姜維が諸葛亮に倣い失策を認め降格を願い出たが、胡済には降......
胡 済(こ せい、? - 景耀4年(261年?))は、中国三国時代の蜀漢の人物。字は偉度。荊州義陽郡の出身。当初は諸葛亮の主簿を務めたという。また諸葛亮の死後は中典軍として軍務に就いた。後に中監軍・前将軍に昇進し、督漢中として漢中に駐留した。延熙19年(256年)には、鎮西大将軍として姜維の北伐に参加した。姜維は上邽で胡済と合流し魏の鄧艾を破る計画を立てたが、計画の通りに合流でき......