胡 惟庸(こ いよう、? - 1380年)は、中国明初期の政治家。定遠(安徽省)出身。安徽省の出身だったため、朱元璋(洪武帝)の家臣であった李善長とは顔なじみであり、その推挙で朱元璋に仕え、紅巾の乱などで朱元璋とともに戦った。胡惟庸は政治的に優れた人物であり、明王朝成立後は中書省の役人から左丞相までに出世を重ねた。しかしそれをいいことに、朱元璋が旗揚げしたときに活躍した功臣の劉基などの排除や、自身に反対する一派を徹底して弾圧して専横を極めたため、やがて朱元璋からその存在を疎まれるようになる。また劉基が病死すると、胡惟庸による毒殺ではないかという疑惑が起き......
胡 惟庸(こ いよう、? - 1380年)は、中国明初期の政治家。定遠(安徽省)出身。安徽省の出身だったため、朱元璋(洪武帝)の家臣であった李善長とは顔なじみであり、その推挙で朱元璋に仕え、紅巾の乱などで朱元璋とともに戦った。胡惟庸は政治的に優れた人物であり、明王朝成立後は中書省の役人から左丞相までに出世を重ねた。しかしそれをいいことに、朱元璋が旗揚げしたときに活躍した功臣の劉......