肝付 兼重(きもつき かねしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。肝付氏8代当主。6代当主・肝付兼藤の次男として誕生。当初は肝付氏庶流・荻原氏(肝付氏初代肝付兼俊の弟・萩原兼任の子孫か)の家督を継いでいたが、兄で7代当主・兼尚が鎌倉に詰めていたため、兄の代理として領地経営を行い、やがて本家の家督も相続した。建武2年(1335年)末から南朝に与して各地を転戦。野辺盛忠や伊集院忠国らと共に、九州における南朝勢力の拡大に貢献した。正平4年/貞和5年(1349年)、北朝側の石井中務丞重信(石井氏)を攻めたが、まもなく病死した。家督は子・秋兼が継いだ。か......
肝付 兼重(きもつき かねしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。肝付氏8代当主。6代当主・肝付兼藤の次男として誕生。当初は肝付氏庶流・荻原氏(肝付氏初代肝付兼俊の弟・萩原兼任の子孫か)の家督を継いでいたが、兄で7代当主・兼尚が鎌倉に詰めていたため、兄の代理として領地経営を行い、やがて本家の家督も相続した。建武2年(1335年)末から南朝に与して各地を転戦。野辺盛忠や......