結城 朝綱(ゆうき ともつな、? - 明暦2年(1656年))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。結城義顕の嫡男。結城朝誉(朝秀、1628年 - 1694年)、和知朝真、朝治の父。通称は治部左衛門。幼少期は父義顕の元で農業をして過ごし、義顕の死後家督を継いだ。豊臣秀吉に改易され没落した白河結城氏の再興を願い、慶長19年(1614年)の大坂の陣で軍功を挙げようとするが、病のため参陣できなかった。元和2年(1616年)、秋田久保田藩に移封された佐竹氏に仕え角館に居住し、子孫は秋田藩士となった。後に母方の伯父の和知秀勝の養子になり和知姓を名乗ったが、......
結城 朝綱(ゆうき ともつな、? - 明暦2年(1656年))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。結城義顕の嫡男。結城朝誉(朝秀、1628年 - 1694年)、和知朝真、朝治の父。通称は治部左衛門。幼少期は父義顕の元で農業をして過ごし、義顕の死後家督を継いだ。豊臣秀吉に改易され没落した白河結城氏の再興を願い、慶長19年(1614年)の大坂の陣で軍功を挙げようとするが、......