稲村 三伯(いなむら さんぱく、宝暦8年(1758年) - 文化 (元号)|文化8年1月16日 (旧暦)|1月16日(1811年2月9日))は、江戸時代後期の蘭学者。幼名は龍介、名は箭、字は白羽。号は原昆堂、白髪書生。石井庄助、宇田川玄真らの協力で、ハルマの蘭仏辞典を基に寛政8年(1796年)日本最初の蘭和辞典『ハルマ和解』を完成させる。
稲村 三伯(いなむら さんぱく、宝暦8年(1758年) - 文化 (元号)|文化8年1月16日 (旧暦)|1月16日(1811年2月9日))は、江戸時代後期の蘭学者。幼名は龍介、名は箭、字は白羽。号は原昆堂、白髪書生。石井庄助、宇田川玄真らの協力で、ハルマの蘭仏辞典を基に寛政8年(1796年)日本最初の蘭和辞典『ハルマ和解』を完成させる。