禅海(ぜんかい、元禄4年(1691年) - 安永3年(1774年))は、江戸時代中期の曹洞宗の僧。越後国高田藩士の子。本名は福原市九郎。生年については貞享4年(1687年)説もある。詳しくは真如庵禅海といい、江戸浅草の住人、祖先は越後高田の福原氏であるといい、もと籍を曹洞宗に置く六十六部であった。両親が亡くなった事から世の無常を感じて出家し、諸国を行脚、正徳5年(1715年)に得度して禅海と称した。豊前国(今の大分県)耶馬渓の青の洞門を開削したものとして知られる。回国の途中、豊後国羅漢寺を参詣した時、川沿いの断崖にかけられた桟橋、青野渡が危険で、人馬のしば......
禅海(ぜんかい、元禄4年(1691年) - 安永3年(1774年))は、江戸時代中期の曹洞宗の僧。越後国高田藩士の子。本名は福原市九郎。生年については貞享4年(1687年)説もある。詳しくは真如庵禅海といい、江戸浅草の住人、祖先は越後高田の福原氏であるといい、もと籍を曹洞宗に置く六十六部であった。両親が亡くなった事から世の無常を感じて出家し、諸国を行脚、正徳5年(1715年)に得......