神崎太郎成兼(?~1243年~?)は、高江領から莫祢院(阿久根市)に居を構え、水引新田宮司執印図嘉房の女を妻にし、神崎氏を改めて「莫禰太郎成兼」を名のった。初代阿久根(莫禰バクネ・英祢アクネ)氏。----平家の流れをくむ大宰大監平季基の子の兼輔は、従五位下に任じ肥前国神埼荘を領し、神崎氏を名のり、その子の兼重は薩摩郡高江郷と莫祢院を併領し、両院の院司職を兼ねる。兼重の子・神崎太郎成道の時、平家が亡び源氏が政権を握る事になるが、成道は進んで鎌倉幕府の御家人となり、改めて高江・莫祢の領主となる。その成道の子が神崎太郎成兼である。----阿久根氏は、平安末の天治......
神崎太郎成兼(?~1243年~?)は、高江領から莫祢院(阿久根市)に居を構え、水引新田宮司執印図嘉房の女を妻にし、神崎氏を改めて「莫禰太郎成兼」を名のった。初代阿久根(莫禰バクネ・英祢アクネ)氏。----平家の流れをくむ大宰大監平季基の子の兼輔は、従五位下に任じ肥前国神埼荘を領し、神崎氏を名のり、その子の兼重は薩摩郡高江郷と莫祢院を併領し、両院の院司職を兼ねる。兼重の子・神崎太郎......