磯兼 景道(いそかね かげみち、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。小早川氏の家臣。幼名は宮松。通称は又三郎、左近大夫、常陸介。安芸国堀ヶ城主。小早川氏庶流椋梨氏の後裔。当初は因島村上氏に属し、末長(すえなが)姓を称した。天文24年(1555年)9月、厳島の戦いの際、小早川隆景から参陣を求められ、主君・村上吉充を説得した景道は毛利方に加勢する。小早川勢に属した景道は村上水軍を率いて奮戦し、陶方の伊香賀十郎左衛門尉を討ち取った。その後も小早川氏に属し小早川水軍の一翼を担い活躍した。隆景が本拠地を新高山城から三原城に遷すと新高山城の留守居役......
磯兼 景道(いそかね かげみち、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。小早川氏の家臣。幼名は宮松。通称は又三郎、左近大夫、常陸介。安芸国堀ヶ城主。小早川氏庶流椋梨氏の後裔。当初は因島村上氏に属し、末長(すえなが)姓を称した。天文24年(1555年)9月、厳島の戦いの際、小早川隆景から参陣を求められ、主君・村上吉充を説得した景道は毛利方に加勢する。小早川勢に属した......